小林愛実さん札幌Kitara公演感想

2025年5月23日(金)

暖かい春の日一転、コートがなければ耐えられない週末の日。
Kitaraの小林愛実さんの公演に行くのは2回目。前回は出産で延期した後の明け公演で、主なプログラムはシューベルト「即興曲集」(後期)、シューマン「子どもの情景」だった。

今回は前半にラヴェルの小品集とシューマン「クライスレリアーナ」、そして得意のショパンなかでも「ソナタ3番」が後半の目玉。
ショパンのソナタ3番は、今年3月に辻井伸行さんによるKitara公演で聴いたのだが、強烈な和音で間を詰めていくスタイルが、僕がソナタ3番に求めているイメージとは異なりすぎて、いつか別の人で聴き直しいと思っていた。小林愛実さんと言えば優しく流麗なイメージがあるが、力強さと、そして切なさが求められるソナタ3番はどのように仕上げてくれるのだろうと期待。

▼登場
さてプログラムを振り返る。

定刻より3〜4分ほど経った時だろうか。赤く細身を魅せるドレス。髪はいつものショート。
洗練されつつも情熱的な印象。

ところで定刻遅れで登場する理由は、演奏の仕上げ・調整に時間がかかっているということなのだろうか?あるいはメイクやスタイリング?2023年11月の藤田真央さんも1〜2分遅れていた。

▼「前奏曲」/「ボロディン風に」/「シャブリエ風に」モーリス・ラヴェル

ホールの静寂を邪魔しない導入。アルペジオが優しい。赤ん坊の肌に触れるようなタッチ。これが聴きたくて来たのだと思う。

と思いきや、気のせいかあまり指が動いていない?右手4・5指が打鍵タイミングでややずれて、わずか10小節目くらい(だと思う)で右手5指による小さなミスタッチが発生。
僕はミスタッチあっても気にならない派だが、いきなりの指の硬さに少し心配になった。

ただ、動じないのが場数を踏んでいるアーティスト。楽曲は優美な世界観。穏やかな色彩でホールを染めてくれた。

低音のアーティキュレーションが、よく響く。誰もが知る主題だけでなく、一見地味だけど、でもこんなに美しいメロディ。右手の分かりやすいメロディに安易に頼らないで、伴奏的な左手パートで魅せる技術。楽譜から、大人しい子を拾い上げて、他の友達に「この子とも仲良くしよう」と提示しているような。それでいてバランスは損なわない。

アルペジオが薄い雲の先に見えるか見えないかの星空のよう。あえて明確な音で分かったふうに言わない。曖昧なものはグレーのまま表現する。そこに確かさと不確かさが同居する、幻想のような世界を感じた。

▼「クライスレリアーナ」ロベルト・シューマン

①最も激しい動きで Dm
短調ながら快活な導入。Aパートはテンポ速く音も多いが、さらっと流してしまうのではなく、フレーズごと噛み締めるような演奏。客を置いていかないで、「私はあなたに伝えたいことがある」と丁寧な宣言。
逆に流して弾くパートはアクセントを決め打ちして、目印を置く。
結果、激しく速いのに芯がある。

Bパートは一転、優しい展開。
カンタービレは穏やかで甘美なp/ppなのに、なぜはっきりと聞こえるのだろう?
例えば別の人(世界で活躍しているピアニスト)の演奏では、ノクターンの時、楽譜上はpの音でもホールに響かせようとして、mf気味で弾いていた。これはKitaraのような2000人規模のホールの場合に難しいポイントの1つなのだろう。
しかし小林愛実さんは力むことなく、p/ppがクリアに聞こえる。この違いは?

同時に、伴奏パートは小川のせせらぎのようで、BGMとして邪魔をせず、でも耳を澄ますとクリアになる。
このメロディと、伴奏とのバランスは絶品。

②Bflat
導入は右手オクターブでの上がっては下がってという放物線。左手も同型の伴奏。
小さい子どもが穏やかに眠っている情景が浮かぶ。

あえて間をとって、沈黙や静寂を味方につける。
客席の呼吸音や衣擦れすら一体化させるような、場の支配力。
「ピアノを弾く」のでなく「場を構成する」というのが小林愛実さんなのだと認識。

背筋は伸ばし気味で、肩より上だけを少し屈める体幹の通った姿勢が、落ち着きを感じさせる。同じ姿でイメージする思い出すのはプレトニョフか。

④Bflat
ここでも、p/ppが響く。高音/低音のメロディを対位法的に交互に反応させて、飽きさせない。
「カデンツ」、つまり「決め」の和音をあえて微かにアルペジオにする。そう、長い残響をいつまでも美しくするために、そのタッチをしていたのか。

過剰なアクセントやf/ffで見せ場を作るのではなく、優しさ、美しさ、肉声で音楽を織りなしていく。
分かりやすい青色、赤色でない。
曖昧で複雑で揺らぐ、紫やグレーの世界。
僕は後者に共感できる。もっと聴きたい。

⑤Gm
高音・低音ともせわしない曲。
スタッカートのキレが良いし、16部音符の小回りが抜群。
ラヴェルの指の緩慢さ(気のせいでなければ)は消えて、ノって来ている感じがある。

ここでも、低音のアーティキュレーションが生きているように感じる。
これまでの小さな熱が大きなエネルギーになって、引き込まれていく。

⑥Bflat
穏やか。高音と低音が絡まって複雑な模様を構成しながら耳に届く。
歌うメロディは、狙い澄ましたように、しかもpのまま鼓膜を揺らしてくれる。
こんなに大きなホールで、1000人以上も客がいるなか、僕を見つけて、欲しい音を届けてくれているという親密な感覚になる。

⑦Cm
狩りで獲物を狙い澄ました虎のような鋭いアルペジオ。
かと思えば、オブラートに包んだような曇ったアルペジオ。
高速な曲のなか、音色、強弱、リズムで揺すられる。
表現の引き出しが無数。

⑧Gm
軽妙なリズムと、大仰なバラード。
低音部は、コントラバスやチェロを思わせて、木を支える地面のような安定感がある。
スタッカートが決まるから、その後の間が愛おしい。
アクセントはしっかりインパクトがあるのに、雑味がなく、どこか甘い。

最後は体を左にねじっていきながら右手で低音部をタッチして、物語はおしまい。

グレーの世界を愛して、魅力的に表現し切ってくれた。

▼休憩

休憩は20分。Kitaraはあちこちに窓があって、外の自然や中庭、ロビーホールを眺められる。2階廊下から眺める中庭とロビーはライトアップが美しい。
ショパンのソナタ3番が一番のお目当てだが、小林愛実さんなら、今日の演奏なら、理想としていたグレーの演奏が聴けるのではと期待。

▼「3つのマズルカ」ショパン
3/4拍子でマズルカの土着的なリズムが心地よい。
マズルカは華というより、土のイメージ。
ラヴェルの洗練されたテーマとは全く違う一面を表現。

高音のテーマに対して低音が応えるのはここでも。低音部の自由な歌い方が新鮮。男女か、友人か、家族か。誰かが会話をして、物語が展開していくのだ。

そして演奏も明らかに乗っている。トリル、間の取り方がハマっていて心地よい。

終了して一旦舞台袖へ。ここまでの演奏。理想の3番が聴けるのでは、と相当な期待に胸が膨らむ。

▼「ソナタ3番」ショパン
①第一楽章
椅子に腰を下ろし、白いハンカチをピアノの右に置き、と思いきや、体をスライドさせながら突然の煌めく第一主題GFDBF。
呆気に取られている間に、今度は逆に迫り上がってくる和音群FBCDEF。
置き去りにされたかと思うのも一瞬、その和音の上がり方が、香水を一滴垂らしたあとに少しずつ立ち込めていくような優しさで、導入から掴まれた。

アルペジオは強く響かすのでなく、ペダルであえて濁らせて、ハーモニーを作り上げる。テーマの美しさだけでなく、音楽的なレイヤーを重ねる構成。こんな技もあるのかと気付かされる。

優美なBパート。
宙に浮いているかのような幻想的な世界。

落ち着いて第一楽章終了。あれ、終わるのが早くないか?本来は10分ほどのはずだが、半分くらいに感じた。後で考えたら、どうやらカットされていたのだと思う。意図的かどうかは分からないが。

②第二楽章スケルツォ
スケルツォの右手高速パッセージが軽く、優しい。何度も思うが、打鍵は強くないのに、どうしてメッセージが耳元で話しているかのように聴こえるのか?一対千人でなく、一対一のパーソナルな演奏。

展開が変化する時の音のつなぎ方のなめらかさに驚く。コード転調していても、全くひっかかるところがなく、ただ太陽が昇ったり沈んだりして音もなく朝夜が変化するのと同じように、いとも自然に変化していく。

③第三楽章ラルゴ
低音から高音へのアルペジオによる声部はpが響いて美しい。
音色が重なっていき、ブレンドされながら芳醇な香りのようにホール空間に満たされていく。
気づいたら没頭している。

小林愛実さんを聴いていると、聴覚的な音というよりも、音をトリガーとして、映像や香り、心情に触れてられているいるのだと感じる。聴覚的な刺激によって、類似する神経回路が呼び出されて、五感的・六感的なイメージとして蘇る。普段は誰も立ち入らない、心のドアが静かにノックされている感覚。

④第四楽章フィナーレ

導入のFオクターブ和音。
遠くから徐々に近づいてくる。
ピアニストのエゴを出すのなく、第三楽章の余韻を崩さない入り。

メインは1、2、3+1、2、3のような三連符形(実際には6/8拍子だが)が繰り返される構成だが、柔らかさ、抜き加減が絶妙。
底からマグマのように湧き出る絶望感ではなく、淡い光で希望的な解釈。

これまでの、優しさ、曖昧さ、複雑さが、三連符形のなかでそれぞれ顔を見せて、高音部から低音部にかけてのこの曲の特徴的な流れ星によって昇華されていく。

ここで、右手と左手が合っていないという、珍しいアクシデントが。単にリズムが揃わないのではなく、拍がずれており例えば右手は先回りして3拍目なのに左手は2拍目、といったこと。ハラハラするが、右手が待って帳尻を合わせる。ライブならでは。完璧な演奏より、即興的なリカバリーが聴けたのは貴重。

最終パート。三連符形で、低音部がfで主役となり怒り、切なさが際立つ。
今日のプログラム全体で、高音と低音の対話、低音アーティキュレーションの試みが、このパートにつながっていたのかと思う。

グレーの世界を優しく厳しく描き切って、最終Bの和音に収束させてくれた。

▼終わりに
イメージする世界観、ストーリーとしての構成、技巧的な試み、pの音色の優美さに揺られたコンサートだった。
複雑で不確かなグレーな世界を、聴き手に伝わるように、それでいて魅力的に表現するのは、ピアニストとしてどれほどのテクニックが必要なのだろう?近年は配信も盛んでクラシックにも分かりやすさが求められるシーンはあるが、僕は明確で完璧なものよりも、歪であやふやな世界の方が真実に近いと思える。
本調子でなかったのかもしれない。しかし今日の小林愛実さんのソナタ3番を聴けてよかった。

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